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軽やかに・・・朗らかに・・・

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ドラクロワ~ドラマティックな苦労話

ドラクロワとは、ドラマチックな苦労話っていう意味らしい・・・
NHKで放送されているのだが・・・http://www.nhk.or.jp/dorakurowa/onair.html

幸せな結婚スペシャル・・・というタイトルで紹介されてた実話のひとつを紹介します。

現在、大関直隆さん(54歳)、洋子さん(69歳)夫妻。奥さまが15歳年上のご夫婦。
このご夫婦の出会いから、今現在に至るまでのストーリー。

出会いは、1973年の4月。
直隆さん15歳。洋子さん31歳。
洋子さんは、高校の音楽の教師だった。
直隆さんは、洋子さんがクラスを受け持った生徒の中の1人。
目鼻立ちのはっきりした、ちょっと生意気な生徒・・・洋子さんは、彼に対してそんな印象を持ったそうだ。

そんな印象が少し変わったのは、クラスの中で学級委員の選出に手こずっていた時に、彼が立候補してくれた。
また、遠足の時、洋子さんが疲れて、バスの中で眠ってしまった時に、彼が隣の席で肩を貸してくれていた。

直隆さんは、その時、もう洋子さんを特別な存在として見ていたこと。その時に洋子さんがどんな服を着ていたかもしっかりと今でも覚えていると・・・回想する。

その時、洋子さんは結婚していて、二人の子どもがいた。
夫の帰りは、いつも遅く、夫婦の関係は冷え切っていた。

職場では、洋子さんは一生懸命仕事に打ち込んだ。
洋子さんは、音楽部の顧問をしていた。
音楽部は、こじんまりした女子生徒だけの部だった。
いつか、もう少し部員を増やし、男子も入れて混声合唱をしたい・・・と洋子さんは、考えていた。
そんな時、直隆さんが、音楽部に入部してきた。
彼は、バレー部のエースとして期待されていたのだが、その座を蹴っての音楽部への入部。

それを機に、女子生徒が入部し、男子生徒も入部。
洋子さんの念願だった混声合唱が実現した。

その後も、短い休み時間には、直隆さんは、ちょくちょく、洋子さんのもとに話をしに来た。

ある春休みのこと、定期演奏会の打ち合わせで、洋子さんは、学校で直隆さんを待っていた。
しかし、彼は来ない・・・

そこへ、直隆さんが交通事故に遭った・・・と病院から電話が入るのだった。

そして、その時初めて、洋子さんは、気づいた。

この生徒を好きなんだ・・・と。
はっきりと自覚した。

この事故は、生徒を好きになってしまった私への罰だ・・・と洋子さんは思った。

どうか、この子を死なせないで・・・洋子さんは、必死で祈った。


その後、洋子さんは、彼にも、誰にも、この気持ちを知られてはいけない・・・そう思いながら、毎日を送っていた。


やがて、彼が卒業。
その頃には、お互いの気持ちを抑えられなくなっていた。

常に一緒にいたい・・・
お互いを大事な存在だと思っていた。

しかし、洋子さんは、常に罪の意識を感じていた。
許されるはずがない・・・

それでも離れられなかった。

彼が卒業してから、1年が経った。
洋子さん、34歳。
直隆さんの子どもを妊娠した。
夫とは、まだ離婚できずにいた。

彼の重荷にはなりたくない・・・なってはいけない・・・
洋子さんは、常にそう思っていた。

洋子さん35歳で、直隆さんの子どもを出産。
そして、その子と、上の二人の子どもを連れて家を出た。

直隆さんも、両親に真実を話した。
親子の縁を切って、直隆さんは、洋子さんのもとへ・・・

直隆さんと、上の二人の子どもは、すぐに打ち解けた。

洋子さん41歳。直隆さん25歳の時。
洋子さんは、前夫との離婚が正式に成立した。
その時、洋子さんには、直隆さんとの間の、二人目の子どもが・・・

晴れて夫婦となったふたり・・・
婚姻届の用紙を記入する時、年齢のところで洋子さんの手が止まった。

ねぇ、私の年齢を5歳下に、あなたの年齢を5歳上に記入しよっか・・・

そんな洋子さんの言葉に、直隆さんは・・・

偽れば、いつかひずみが来る。事実に正面からぶち当たって行こうよ・・・


その後も教師を続ける洋子さんに変わって、直隆さんが家で家事を受け持った。
あるPTAの会の時、若いお父さんの直隆さんは、好奇な目で見られることもあった。
PTAの役員がなかなか決まらずにいた時、直隆さんは勇気を出して、手を挙げた。

それから、直隆さんは、上の子どもたちの保護者会にPTA役員として、学校や地域との役割を努めた。

洋子さんには、少し悩みもあった。
彼と釣り合うように若く見られたい・・・いつも若い格好を意識した。

二人で買い物に出かけた時、親子に見られることもあって、大きなショックを受けることもあった。

外出した彼の帰りが遅いと、不安でいっぱいになったりもした。
夜中にこっそり彼の財布をのぞいて、ホテルのレシートが入ってるんじゃないか・・・と疑ったこともあった。

けれど、直隆さんは、洋子さんを責めなかった。
洋子さんの不安な気持ちを受け止めた。

彼の愛情は、全く変わらなかった・・・と洋子さんは振り返る。

ある時、洋子さんは、生徒から・・・
「先生のだんなさんて、先生の生徒だったんでしょ・・・
ねぇねぇ、話、聴かせてよ・・・」

隠し続けてきた事実を、聞かれた。

洋子さんは、家に帰って、直隆さんにそのことを話した。

彼から返ってきた言葉は・・・
「生徒に正直に話したらいいよ・・・」

洋子さんは、覚悟を決めた。

ホームルームの時間。
生徒たちにすべてを話した。
声が震え、汗がにじんだ・・・

そして、洋子さんは、話を、こう締めくくった。

彼との愛情は、彼の両親を始め、いろんな人に迷惑をかけました。
私は、幸せにはなれないかも知れない。
でも・・・
未来あるあなたたちは、どうか幸せになってください・・・

その翌日、1人の男子生徒が、洋子さんに声をかけてきた。

先生、話してくれてありがとう・・・

そして、その生徒が、自分の母親から預かったという手紙を洋子さんに渡した。

そこには、こう、書かれていた・・・

3年間ほとんど話さなかった息子が、一生懸命、話してくれました。
どうか自分を責めないで・・・
先生も幸せになっていいんですよ・・・

二人が一緒に暮らし始めて、8年が経過していた。

洋子さんにとって、気がかりだったのは、自分のせいで絶縁状態であった直隆さんのご両親。

そんな時、直隆さんの叔母から連絡が・・・
直隆さんのお父さんが入院・・・の知らせ。

少し渋っていた直隆さんは、二人の子どもを連れて、病院へ向かう。

父は、その子に向かって、声をかけた。

お前はなんという名前だ?
いい子でいるか?

直隆さんは、その時、長年の親不幸を心の底から謝罪した。

そして・・・
洋子さん45歳。直隆さんの3人目の子どもを出産した。

二人の出会いから・・・
子どもたち5人は、全員、成人した。

長男・・・海外でダンサー
二男・・・俳優
三男・・・プロゴルファーを目指している。

洋子さんは、教師を定年退職してから、今は、カウンセラーの仕事を。
直隆さんは、3つの陶芸教室を経営している。




最後に、本人がスタジオに登場された。


二人の出会いから、39年・・・

どこかで、一つでもあきらめていたら、
今の幸せには繋がっていないんだろうな~

幸せになることを、決して、あきらめてはいけない・・・
http://shiawaseninaru0430.blog.fc2.com/
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