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軽やかに・・・朗らかに・・・

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またまた一日で読破~”手で笑って手で泣いて 手話で社会をつなぐ”

またまた読み終えてしまった~
谷 千春著「手で笑って 手で泣いて  手話で社会をつなぐ
2005年の3月に書かれた書のようで、今から、8年前だね~41KQBEQQH7L__SL500_AA300_手で笑って手で泣いて


著者が高校生の時に手話に出会って、そこから、手話通訳士になるまでの経緯が書いてあった。
日本だけでなく、2年間イギリスに留学して手話を学ばれたとか・・・
奥さんが、難聴者のようだ。

耳が聴こえないか、目が見えないか・・・だったら、
どっちが大変だろう?って想像した時、
耳が聞こえない方が、マシなんじゃないか?・・・なんて・・・
知らないから、勝手なことを思い浮かべてみたが・・・

生まれつき、あるいは小さな時に聴覚を失った人には、ただ聞こえないだけでなくて、
見えないハンディも背負うことになる・・・というのを、いろんな書物を読んでいくうちに
そうかも知れないと考えるようになった。

聴覚に障がいがあることによって抽象的な知的概念が理解できなくなり、
結果として知的な発達が遅れることがある・・・

~という文章を見つけて、

私は、この間、行った手話スピーチで、壟の方に言われた言葉を思い出した。

壟は、はっきり言ってもらわないとわからない。
確かグーをした手をもう片方の手で包むような仕草をされた・・・そして、わからないというジェスチャー。
多分、オブラートに包んだような言い方をされてもわからない・・・
という意味なんかな?って私は、受け取った。

そして、そんなことを思っていると・・・

この本にも、こんなことが書いてあった。

イギリスで英語を学んでみて、ひとつ気がついたことがあります。
どうも手話という言語は、日本語よりも英語に近い言語のようなのです。
手話は基本的に「イエス」と「ノー」をはっきりさせます。
健聴者が手話をやっていると、日本語で話すときと手話で話すときで違う自分に気づくはずです。
というのは、口では言いにくいことも、手話ではストレートに言えるからです。
いえ、言えるというより、言わざるを得ない言語なのです。
日本語につきものの婉曲的な表現は手話ではほとんどありません。
「好き」「きらい」もはっきり表現するのが当たり前です。
だから、ふだん内気で感情を押さえこんでいるような人でも、手話だとはっきりものが言えるようです。


この文章を読んで、そうなのか・・・と思った。

普段から、あまり、はっきり、物事を言えず、遠まわしに表現してしまう私だから、
手話との付き合いは、なんとなく苦しくなる時が、あるのかなぁ~って。
でも、これまた、、いい訓練になりそうだな・・・という思いもある。

手話って、なんだか、すごく自分の”性格”が出るよなぁ・・・と思っていたら、
やっぱりそのように書かれていた。

手話を上達させるコツは、

コツコツ単語を覚えていくしかないようだ。
覚えて忘れて、また覚えて忘れる、手話の勉強はその繰り返し。
忘れることをおそれないで、ただ粘り強くやっていくしかないんだなぁ~

初心者であれば、実際にろう者と手話をしていても、すべての単語を理解する必要はなく、
もしわからないところがあったら、そこは思い切って捨てて、次に進むこと。
そして、口をはっきり開けて話しながら手話をする。
そうすれば、絶対にコミュニケーションはとれる。
最初から完璧を目指すのではなく、とにかく話してみる、そうしているうちに訓練されてうまくなっていく。
とにかく、自信を持つこと。
手話が小さくなっていく人は要注意だ。
手話は「はっきり、大きく」が基本。
手話にはまた、慎重さと想像力が必要。



そして、なるほど・・・と思ったのが・・・

小さな幸せを見つけること。
人によってはとるに足らないような、小さな幸せ。
この小さな幸せに対する感受性こそが手話通訳には大切だってこと。
なぜなら、それは周囲をよく観察することにつながるからだそうだ。
周囲に対して敏感な心くばり、気くばりができることということは、
手話通訳にとって重要な要素なのだ。
だから、常日ごろからそうした感受性を養うことが、大切なようだ~

「聴」という字を分解してみたら、
「耳」と「十四」と「心」からなっている。
つまり、聴くということは、十四の心で聴くこと。
人の話によく耳を傾け、心で理解することが聴くこと。


この言葉にも、確かに・・・と思った。

手話を学んでいくにあたって、どうすればいいか・・・

たくさんのヒントがいっぱい詰まった本だったなぁ~

もっと、いろんなことが知りたいなぁ~
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2 Comments

maya☆  

こんにちは!

のんさん、

この本、すごくいいですね~♪日本の手話だけでなく、イギリスの手話も学んだのですね。

もともと耳の聞こえない人々にとって、遠回しな婉曲表現はわからないのですね。確かに日本語は婉曲表現が多いですが、その微妙な表現も耳が聞こえるからこと、身につくもので、聞こえない状態で言葉そのものを体得するのは、ものすごく大変なことなんですね。

手話も学ぶことによって、日本語について考えたたり、ろう者にとって言葉とは何かと考えるよい機会になりますね。

この著者の谷さんっていう方の奥さんが難聴者なのですね。私も先日、要約筆記の研修会を見学に行った時にご主人が難聴者だという方がいらっしゃいました。手話をずっとやっていて、その後の流れで要約筆記も勉強に来られたようです。

まだまだ手話のできる人や要約筆記のできる人は少ないですが、この働きについて興味を持ってくれる人や学ぶ人が増えるといいなぁと思いました♪

2013/02/05 (Tue) 06:29 | EDIT | REPLY |   

のん  

mayaさんへ・・・

手話を学ぶことによって、”手話”という”言語”表現だけじゃなく、それに付随するものがいっぱいあるんだなぁ・・・と思いました。それで、聴覚障害をもっておられる方たちのエッセイを読みたいと思うようになりました。
最初は、BOOKOFFで見つけた”この手が僕らの歌声になる~きこえないけど歌いたい”(南留花)という本との出会いから始まりました。
それから、”星の音が聴こえますか”(松森果林)、”ココロノウタ”(今井絵理子)、”手で笑って手で泣いて”(谷千春)、”風の音が聴きたい・・・”(小田大河)。今、”こころの耳”(早瀬久美)を読んでいます。もう、読み終わりそうです。早瀬久美さんっていう方は、”みんなの手話”の講師、早瀬憲太郎氏の奥さんです。大学生活の話や二人の出会い、聴覚障害の方も薬剤師の免許がとれる様になったいきさつなど書いてあります。
いろんな本がいっぱいあるので、手話の本だけじゃなく、エッセイを読んでみたくなりました。


要約筆記・・・私も興味あります。
なかなかこちらの方は、講座があまりみつからなくて・・・

2013/02/05 (Tue) 13:55 | EDIT | REPLY |   

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